国会で教育基本法改正論議がかまびすしい。
社会情勢の変化に現行法が追いついていない、というのが改正の趣旨、ということになっているが、「愛国心教育を義務化したい」と言うのが本音だろう、と私は見ている。
で、愛国心教育で何が強調されるか、改正案には「わが国と郷土を愛する態度」と言う文言が入れられているが、国が何を言いたいのかはもうわかっている。
国=国家>国土
であることは。まあ、これは最初に国が来て、次に郷土が来ることから明白か。
もっとも、これは日本特有、と言うわけではなく、たいていの国が多かれ少なかれそうだから。
北朝鮮は間違いなくこれだろう。そうでなければ、「将軍さま」が「落ち武者」と...なっているかどうかはわからんが...
イラクも、サッダーム=フサインと言う「扇の要」(彼の採った政策は必ずしも好ましいものではなかったが、「イラク共和国と言う扇」の要の役割は果たしていた、と言うことは否定はできないと思う)を抜いたとたん国家が分裂しかねない状態である以上、必要かもしれない。
それにしても、愛国心教育をしなければならないとは、日本も情けない国に成り下がったものだ。愛国心教育が必要である、ということはその国はこんな状態になっている、と語るに落ちたのではないか?
(1)国家はその国の国民を信頼していない。ただし、その国の国民には国家を信用することは強要させたい。
(2)国民はその国家を見放している。だから、国民をその国家につなぎとめる強制力を必要が必要になっている。
(3)権力者が自己満足を得たい。
このほかの理由もあるかもしれないが、今思いつかないのでこれくらいでやめておく。
本当にその国が愛すべき国家だとしたら、あえてそんな教育をするまでもなく、いや国家のほうで固辞(誇示のタイプミスではないので念のため)したとしても、国民はその国家を愛するのではないだろうか? 花鳥風月を愛でるように。国家のような人工的な存在と花鳥風月のような自然の風物を同列に扱うのがそもそも無理か?
共産党や社民党は例によって、憲法第19条を持ち出して反対しているようだが、そういう理屈(も一つの道理だが)より、
「愛されるようになりたいなら、まず愛するようにせよ」
とでも言ったらどうなんだろう。彼らの発言を見ていると、歯がゆさでたまらなくなってくる。
自分を含めて世の大人たちは、子供たちに愛せる日本を残せるだろうか。
山崎ハコの『本牧750C.C.(ナナハン)』ではないが、「被害者はいつも若者」なんだよなぁ...