我が家の家族の災害体験
実を言うと、我が家の家族5人の中で自分が一番災害体験が薄い。
両親は函館の空襲を経験しているし、父にいたっては函館の大火まで経験している。
妹は地下鉄サリン事件に巻き込まれた。しかも、そのサリンが仕掛けられた車両に乗っていた。立っていたので、
気化すると空気より重い気体となるサリンの性質にも助けられて、間近にいながら、それほどたいしたことはなかった(とかかった某医大付属病院では言われた)らしい。同じ車両に乗り合わせた人がばたばた命を落としたことに比べれば、命が助かっただけでもありがたいことかもしれない。
弟は阪神淡路大震災当時伊丹市にいたから、当然これを身をもって体験している。あと、バイクに乗っていて信号無視の自動車にはねられ右手の骨を折る怪我もした。しかもこの折れた部分が局所麻酔が効かないところだったので、たかだか指の骨折の整復(もっと大変な手術を受けている人に比べれば、「たかだか」といってもいいかもしれない)のために全身麻酔の手術まで受けた。
では自分はというと、思い起こす中で一番ひどかったというのが、自分の乗っていた寝台特急が福岡県内の鹿児島本線で起きた踏切事故のために、佐賀県内の長崎本線で十数時間足止めを食らったくらいである。それも思い起こすのも忌まわしい、というよりは、なぜか笑いながら、「こういうことがあったんだよ~」と言えるようなものである。
こんなことを書いていいのかなぁ…?
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コメント
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くりにゃーさん、こんばんは。
自分も話を聞いてびっくりしました。「よくそれですんだなぁ」と。
さらに、病院の待合室でフジテレビの取材を受け、それがテレビで流れたようです。
体がだるいのに無理やりインタビューされ、診察では「これなら大した事ない」的なことを言われたとかで、えらくぶんむくれていました。
投稿: ごまめ | 2007/08/25 12:48
ご両親は年もあるから、戦争体験もありなんでしょうが、妹さんは、よくぞご無事で。
あの車輌に乗っていて、ちゃんと生還してきた人なのですね。
事故がないのが何よりですよ。神様に守られていると思って、安心して暮らすのが一番です。
投稿: くりにゃー | 2007/08/25 04:16