「祭りの後症候群」あるいは快楽依存症
にぎやかだったお祭りの場も、終わってしまえばそれまでの喧騒は夢か現か幻か、という感じにひっそりとする。その楽しさが大きければ大きいほどさびしさもまた大きい。山が高ければ谷が深いように。
普通の人なら遅くとも一晩もすればハレとケのけじめはきちんとつけられるのだろうけど、σ(-_-;)はこれが苦手である。祭りの後、宴の後はしばらく腑抜け同然の状態が続くから。
何か病気なんじゃないの? うん、そんな気がする。あえて病名をつければ「宴の後症候群」とか「祭りの後症候群」とでも言う感じだろうか? そうならないようにするには、あえて快楽に背を向ける、それくらいしか自分には思いつかない。もちろん、そういうことではいつか精神的に破綻をきたすのは間違いないけれども。
そしてハレとケの区別をつけるのが苦手だ、ということは、快楽にのみ依存して生きている、ということなのではないかと自問自答してみる。これも「快楽依存症」とか病名をつけようと思えば着くだろう。
快楽と言う文字を別の言葉で置き換えると……
自分は廃人の何歩手前にいるのだろう……
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コメント
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くりにゃーさん、こんばんは。
適当に流したら流したで、今度はフラストレーションがたまってしまうんですね。
どっちにしても…ですね。
投稿: ごまめ | 2006/08/08 21:12
お祭りを力一杯楽しんでいる証しだと思います。
てきとうに流してしまえば、祭りの後の虚脱感も少なくて済むのですが、祭りをめいっぱい楽しんじゃおう、と思えば、体も心もお祭り状態にシフトアップしてて、しばらく心も体も戻ってこなくなりますよ。
楽しければ楽しいほど、楽しんじゃえば楽しんじゃったほど、虚脱感は強いです。
それで正常。
魂も心もちゃんと働いている証拠ですね。
投稿: くりにゃー | 2006/08/07 23:10