嗚呼、暮しの手帖
「暮しの手帖」は私の愛読していた雑誌の中で、付き合いがもっとも長い雑誌だった。なにしろ小学校3年生から社会人中堅の手前にさしかかるくらいまで18年ずっと読んできたのである。
読んでいるひまがなくなって買わなくなり10年以上経ったが、久々に最新号の第4世紀(暮しの手帖は100号ごとに第○世紀という)10号を手にとる機会があったが、あまりの変わりように唖然としてしまった。サイズが私が読んでいた当時より小さくなった(といっても、叔母の家で読んだ第1世紀の各号はこんな感じの大きさだったような記憶がある)のは、さておき「『暮しの手帖』を『暮しの手帖』たらしめていた」あの「商品テスト」がすっかり影をひそめてしまっていたからである。
目立つのは、それよりも政治的発言の記事と有名人のエッセイ。まぁ、あの「社長以上の最高実力者」という感じだった名物編集長故花森安治氏存命中もそういう記事はないでもなかったが、ここ最近の暮しの手帖は、実用誌(この言葉がこの雑誌にはもっともふさわしいカテゴリーだと私はずっと思っていた)というよりは文芸誌とか文化誌みたいになってしまった感じがしている。
「文芸誌」とよばれたところで、他の雑誌なら別にどうって事はないと思うが、この雑誌の場合、こう読んでしまうのは、
ある種の軽蔑の意を含む。なぜなら、それだけ創刊の時の精神から離れてしまっている、ということだから。
そういえば、編集部もいつのまにか、北新宿になってしまったんだよねぇ...私が知った頃は、編集部は銀座の外れにあって、新橋から歩いていったという記憶がある。それが六本木になり、東麻布になり、そこからしばらくはどうだったか知らないが、気が付けば北新宿。まあ、東京の北のはずれ、板橋の住人からすれば、新宿区は十分に都心だけど、銀座→六本木→東麻布→北新宿というのは、ある種都落ちの感じは否めない。
そういや、東麻布にあったという「研究室」はどうなったのだろう? 何らかの事情で手放してしまったのだろうか?それが今の内容に現れている?
だとしたら、元読者としてはさびしい限りである。
今後は立ち読みはあっても、買うことはまずないだろうなぁ...
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これは あなたの手帖です いろいろのことが ここには書きつけてある この中の どれか 一つ二つは すぐ今日 あなたの暮しに役立ち せめて どれか もう一つ二つは... [続きを読む]
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